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地震から20日 [雑記]

先週末、祖母の49日の法要で娘と一緒に1泊で岡山に帰ってきました。

 

西日本は、今回の大地震の影響は、ほとんど関係ないものと思っていたら、

4月からJR在来線の部品調達が難しいため、間引き運転をするとか。

そして、やはり、岡山でも乾電池(特に単一電池)は、売り切れ状態。

関東地方以北の親戚や友人に頼まれて、送ったりしているのでしょう。

 

でも、余震がなく、夜、落ち着いて眠ることができたのは、震源地から

はるかに遠く離れていた証拠。

岡山の街のあちらこちらでも、募金活動のグループを何組も見かけたり、

祖母の法要をしたホテルの従業員も名札のところに一緒に「私たちは

被災地の復興を応援します」と書いたメッセージカードをつけていたのが

印象的でした。

 

7年前、2004年10月20日 のことです。

岡山から南へ一時間の実家のある、その町で土砂崩れが起こったのは。

それまで、2月に亡くなった祖母がお嫁に来て以来70数年、自然災害とは無縁のその地で。

土砂崩れが起こった山は、小高い丘よりちょっと高いぐらいのそんな山ともいえないぐらいの

高さのものでした。

その年、8月ごろから台風の度ごとに、大雨が降り続き、かなり地盤がゆるくなって

いたようでした。

台風23号で、ベルママの実家のある町内で土砂崩れが発生し、 平地の実家にまで

上から土砂は流れてきて、ちょうど実家の裏門から表門にかけて流れつき、そこで土砂は

止まったものの、NHKの夜7時の全国ニュースに実家の表門に流れきたイスが張り付いた

状態が映し出されました。

当時、祖母と両親は、地区の小学校の避難所に避難し、 そこで一夜を明かしました。

幸いみんな無事でけがもない状態で、義弟が様子を見に行き、安否を確認しました。

ベルママは、メキシコから本帰国してまだ2週間のときで、一度、岡山に帰省し、東京に

戻った直後の出来事でしたが、両親のことも心配なので、また岡山に舞い戻りました。

このときの土砂崩れで直撃を受けた2、3軒、5名の方々が亡くなられました。

 

幸い、実家は、床下に土砂が流れ込んだ状態だったので、日常生活を送ることは、

できましたが、大量のその土砂を取り除く作業は、並大抵のことではありませんでした。

たくさんの従兄弟たち、親戚や知人やらが連日駆けつけてくれ、何十、何百と土嚢袋に

土砂を入れていきましたが、片付けても片づけても、なかなかきれいになりません。

毎晩、みんな疲れ切り、それでもがんばらなければ!という思いで3日がたった23日

の夜、テレビから聞こえてきたのは、新潟中越地震のニュースでした。

その日から、もっぱら、報道はそのニュースばかり。

まだまだ土砂崩れの片付けは、できていません。

「大きなニュースが起こると、その前にあったことなどすぐに忘れ去られてしまうんだ」と

実感してしまいました。

まだまだ自然災害の立ち直りの最中だったのに・・・。

道にも土嚢袋は積み上げられたままで、「この先、どのくらいかかるのだろう、元通りになるのは」と

暗い気持ちになったのを今でもはっきりと覚えています。

 

東北・関東大震災から20日。

まだまだライフラインも完全ではないところもある状態とか。

被災地以外では、震災前の日常生活を送ることが、大切だと言っていました。

復興に必要な財源を確保するため、被害にあわなかった我々は、しっかりと働いて、

日本経済を支える必要があるからです。

今までと同じ日常生活は送るけれど、でも震災のことは、ずっと忘れないで、

みんなで東北地方の復興を応援していく! その気持ちを持ち続ける大切さを

改めて心にしっかりと言いきかせなければ!

 

 

 

 

 


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