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自宅もお色直し [雑記]

この春、10年目を迎えた我が家。

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いつの間にか、外壁もお疲れの様子。。。

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3月16日から外壁の塗装工事開始。

この日は、一日仕事だったので、えりすは、おはなちゃんちに避難させてもらった。

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帰宅すると足場が組まれて、家もおおわれてた。

 

車は、工事期間中は、職場におかせてもらうことに。。。

 

2週間の辛抱。。。 

 

 

 


9月の通院 [雑記]

眼底出血以来、1か月半以上たち、 ようやく視力も元通りになってきました!

9月8日にまずは、経過観察の受診。

この時点で、かなり目の前の霞も取れてきていて、担当医からも「ずいぶんよくなってきて

ますね。」と言われて 3週間後に、また経過観察受診予定。

 

で、きのう、9月29日に経過観察受診

午前10時に行って、診察を受けたのは、午後1時過ぎ。 

本当に待ち時間がいつものことながら、長い・・・。

 

自分でもかなり左眼の煩わしさがなくなってきていたので、視力検査もよく見えていたし、

診察室に入るのも気持ちがとっても楽[わーい(嬉しい顔)]

担当医からも「視力もずいぶん上がり、よくなってきましたね。次回は、 1か月半後に

検査して問題なかったら、終了にしましょう!」と

嬉しいお言葉[exclamation×2] 

 

眼底出血した日から4日分だけ、 止血剤が出たものの、それ以外は、一切薬はなく、

自然治癒力にゆだねるだけの日々だったけど、よくぞここまで回復してくれました。

 

完治までには、2~3カ月かかると覚悟はしていたけれど、本当にその通り。

 

大切な眼をいたわりながら、あと1か月半、何事もないように祈るのみです。 


安静にしていた12日間 [雑記]

えりすと川遊びを楽しんだ翌々日、8月15日の朝のこと。。。

 

6月に網膜裂孔でレーザー手術を受け、8月9日には、大学病院の先生からも

「レーザー手術をしたところは、問題ないですね。 大学病院の方は、

 これで終了です。」と言われ、心もルンルンと軽くなってたのに・・・。

 

同じ左眼に一瞬にして墨のようなもやもやが出てきて・・・・

 

お昼過ぎ、大学病院へ駆けつけて、診てもらう。

 

この日は、月曜日だったから、担当のS先生ではなく、別の先生。。。

 

瞳孔を開く目薬を差しても出血のため、眼底が見えないそう。

 

そこでまぶたの上から、超音波検査。

超音波で見る限り、剥離は見られないとのことで、チョッピリほっとする。。。

 

「とにかく安静にしてくださいね。18日に担当医のS先生に再度診ていただいて下さい。」と

止血剤(アドナ錠)が4日分処方されて、おしまい。

 

左眼は、動きはわかるもののほとんど見えない状態。

 

帰宅してからも右眼だけで物を見ているので、すごく疲れる。。。

 

眼の事だけに先生の指示をしっかり守って、過ごさなくては、とひたすら寝て過ごすこと3日間。

 

18日の朝一番で、担当医の診察を受けに再度、大学病院へ行く。

この時点では、まだほとんど左眼の視力は、ないに等しかったけれど、

「眼底がうっすらと見えてますね。 おそらく6月の裂孔が大きかったので、

その周辺の血管が切れて、出血したのでしょう。 ちょうどレンズにあたる部分に

出血がかかっているので、視力が出ないようです。 

引き続き安静を保ち、座るときにもなるべくうつむいた姿勢でいてください。

寝るときには、枕を高くして寝てください。27日に来てください。」との指示。 

薬は、一切処方されず、後は、先生の指示をしっかり守るだけ。

 

きょう、27日の再診まで、とにかく一切の予定をキャンセルして、

自宅で安静に過ごすことにした。 

 

今週の初めは、まだ左眼の視力が上がってこないような感じだったのだけど、

それでも少しずつ、1番ひどかった時の状態よりもマシになってきた気がしていた。 

 

昨日(26日)あたりから、まだベールがかかったようではあるが、随分と見えるように

なってきたことを自覚する。。。

左眼にコンタクトレンズを入れれば、ベールはかかっているもののちゃんとテレビの文字が

読めた[exclamation×2] 

 

そしてきょう(27日)、午前11時の予約で、再び大学病院受診。

いつものように視力検査から。

18日の検査の時とは違って、随分見えるようになってきてる!

視力検査をする係りの方からも「ずいぶん、視力が上がってきましたね!」と

言っていただいた。 

 

担当医からは、「随分、視力が出てきましたね。

ベールがかかっているのは、まだ下の方に出血が残っているからです。

またもう少し、経過観察をしましょう」ということで、今回は、「安静に」の指示は、

なく、次回9月8日の再検査を予約しておしまい。

 

このまま順調に回復しますように・・・。 

 

 

 

 


27年ぶりの。。。。 [雑記]

海の日の三連休が終わった翌日・・・

 

仕事先で、トイレに行ってびっくり

 

な、な、なんと血尿が[がく~(落胆した顔)] 

 

翌日、近くの総合病院の泌尿器科を受診。

 

朝9時に行ったのに、次々と検査をすること、2時間。

 

「これは、腎結石です」と先生から告げられ、

 

そこから急きょ、入院手術の日を決めたため、

 

結局、すべて終わったのが、午後2時半 。

 

そして25日(月)に日帰り入院手術で、最新鋭機を使って破砕してもらう。

 

その夜から3,4日、破砕された石が体内で動くたびに激痛

 

体調不良の1週間。。。

夜中に具合が悪い時、心配そうについててくれたえりす。 

優しい子に育ってくれてる。 

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 治療後、毎日水分を1.5リットル以上飲まないといけないのが何より辛いところ

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明日の検診で結果良好だったらいいのに・・・・・。 

 

 

 

 


東京散策 [雑記]

1日(金) 秋晴れでポカポカと気持ちのいい日だったので、銀座教室の後、

1日~3日まで公開中の赤坂迎賓館前庭の散策に立ち寄りました。

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母校から、すぐ近くの迎賓館。

学生時代、ドイツ語の授業のあった1号館から、授業の合間に見える

この建物に時折、目を見張ったものです。

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まずは、正門から。 高さは10mもあるそうです。

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ホテル ニューオータニの建物がきれいに見えました。

 

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よく手入れされたお庭

 

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あいにく逆光だったので、迎賓館の建物の全景は、うまく撮影できませんでしたが

外国からの賓客をもてなすのにふさわしい、重厚なかつ荘厳な建物です。

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菊の紋章が光ってました。

そういえば、海外にいた時、領事館の建物、大使館の建物には、 菊の立派な

紋章がついていたのを思い出しました。

 

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空が抜けるように青くて、きれいでした。

 

ちょうど、この日から3日まで、母校の学園祭だったので、せっかく四谷に行ったのだからと

立ち寄りました。

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四ツ谷駅から、徒歩5分ほど。

前方に見えているレンガ造りの建物でドイツ語の授業を受けてました。

上の方の階は、迎賓館が少し見えるんです。

 

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昔通っていた頃と全然変わらない正門風景

何となくほっとします。

 

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来年は、創立100周年だそうです。

 

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学園祭用にこんな楽しい校内見取り図がありました。

ゆっくりとしたいところだけど、朝から、お留守番のゆめが待っているので、

そこそこに切り上げて、帰路に。

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大学から、駅に向かう途中。


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四ツ谷駅地下鉄丸ノ内線 ホーム

地下鉄なのに、四ツ谷駅は、地上ですが、安全柵が施されて、

風景がすっかり変わってしまいました。

 

秋の日の楽しい散策。

こんな散策もたまには、いいものです。

 

 

 

 


あ~~、片付かない [雑記]

関東地方、午後から空模様が怪しくなるという天気予報。

先週、壊れた照明器具の処分のため、自治体のリサイクルセンターに

行くため、他のものもついでにと片づけ始めたけれど・・・。

断捨離”という作業、どうも自分には不向きのようです。

本当は、”どの部屋も劇的にすっきり”が理想なのだけど、なかなか踏み切れない。

結局、こんな感じになりました[左斜め下]

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きょうは、どのくらいの重さになったかしら?

我が家から、リサイクルセンターまで車で20~25分ぐらいの距離。

ゆめさんももちろん一緒です[左斜め下]

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リサイクルセンターに到着すると、まず、車両全体の重さを量ってもらいます。

そして指示に従って、積み荷を降ろす場所へ行き、自分で荷下ろしします。

その後、料金所に行き、もう一度、車両全体の重さを測定。

10kg単位の測定だけれど、きょうの処分品、20kgなり。

 

ザーザーブリの雨の中、うちへと帰ってきました。

20kg、物が減っても、全然片付いた気がしないんです・・・[ふらふら]

どうしたらすっきりと片付くのかしら・・・。

 

ゆめさん、「私も疲れたよ~」ってちょっとお昼寝です。

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写心展までもうカウントダウン状態です。

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詳細はこちらで


七夕の日に寄せて [雑記]

きのう、メキシコ生活をしていた時のアルバムを開き、ベルキーの写真を

デジタル化していたときに、ふと懐かしい写真にその手が止まってしまいました。

 

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左の女性・・・Mrs. Sue Gibbons,スーは、我が家のアメリカ駐在(1985~1990)の

最初の頃からの古い友人でした。(写真は、2002年ごろ、アメリカ、サウスキャロライナを

訪問したころのものです)

3月の大震災の2日後、私の家族の事を心配して、E-mailをくれました。

そして、そのE-mailの返信をし、みな無事を伝えると、もう一度、E-mailが

翌日帰ってきました。

小学校の先生をしていたので、彼女のクラスで「大きな地震があった仙台とか

東北地方は、あなたの住む東京からどのくらい離れているのか、生徒が

知りたがっているのよ」という内容のメールでした。

そのメールにまたまた返事を出しました。

でもその後、スーからは、返事がありませんでした。

1週間たっても返事はありません。。。

4月の初めごろ、共通のアメリカの友人から、スーの訃報を知りました。

あまりに突然の死でした。

私のパソコンの中には、今もスーのメールが2通、そのまま残っています。

 

日本に帰国後、そしてメキシコ生活を送っていた時、いつ遊びに行っても、

見た目同様、おおらかな人柄で、「おかえりなさい」と温かく迎えてくれ、

いつもアメリカ在住時の楽しい時間を思い出させてくれた大切な友人。

 

七夕の日に、「たくさんありがとう」と思いが届きますように。。。

 

 

 


時流に乗って [雑記]

火曜日の夜、我が家の10年選手の炊飯器が壊れてしまいました[ふらふら]

 

次の日13日、仕事を終えて帰ってきてから新しい炊飯器を買うため、

一路、ベルキーとヤ◎△電機へ。

 

店内に入り、階段を上った正面には、まずあったのが携帯電話売り場。

そろそろ携帯電話も買い替え時だなと思っていた折、そこで立ち止まって

しまいました・・・。

最近、周りの身近に持つ人が増えてきたのが、こちら[バッド(下向き矢印)]

2011-4-15 001.jpg ベルママもとうとうIphoneデビューだ~[exclamation]

「うんうん、これで岡山の実家に帰った時も、お友達のブログ読める」

「都心に仕事で出かけたときにも、現在地もわかるし・・・」

な~んて、自分でいっぱい言い訳して、こちらに決定。

 

2011-4-15 004.jpg ついでに炊飯器もちゃんと買って帰りました[exclamation]

 

14日木曜日は、横浜教室の日。

関内駅で電車を降りる人がいつになく多いと思ったら、横浜スタジアムでは、

デイゲームが行われるせいでした。

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 今週は、なんだかいろいろあった1週間だったけどやっぱり締めは[左斜め下]

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ホタパパさんの写心展が開催されます。

詳しくはこちらで。

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地震から20日 [雑記]

先週末、祖母の49日の法要で娘と一緒に1泊で岡山に帰ってきました。

 

西日本は、今回の大地震の影響は、ほとんど関係ないものと思っていたら、

4月からJR在来線の部品調達が難しいため、間引き運転をするとか。

そして、やはり、岡山でも乾電池(特に単一電池)は、売り切れ状態。

関東地方以北の親戚や友人に頼まれて、送ったりしているのでしょう。

 

でも、余震がなく、夜、落ち着いて眠ることができたのは、震源地から

はるかに遠く離れていた証拠。

岡山の街のあちらこちらでも、募金活動のグループを何組も見かけたり、

祖母の法要をしたホテルの従業員も名札のところに一緒に「私たちは

被災地の復興を応援します」と書いたメッセージカードをつけていたのが

印象的でした。

 

7年前、2004年10月20日 のことです。

岡山から南へ一時間の実家のある、その町で土砂崩れが起こったのは。

それまで、2月に亡くなった祖母がお嫁に来て以来70数年、自然災害とは無縁のその地で。

土砂崩れが起こった山は、小高い丘よりちょっと高いぐらいのそんな山ともいえないぐらいの

高さのものでした。

その年、8月ごろから台風の度ごとに、大雨が降り続き、かなり地盤がゆるくなって

いたようでした。

台風23号で、ベルママの実家のある町内で土砂崩れが発生し、 平地の実家にまで

上から土砂は流れてきて、ちょうど実家の裏門から表門にかけて流れつき、そこで土砂は

止まったものの、NHKの夜7時の全国ニュースに実家の表門に流れきたイスが張り付いた

状態が映し出されました。

当時、祖母と両親は、地区の小学校の避難所に避難し、 そこで一夜を明かしました。

幸いみんな無事でけがもない状態で、義弟が様子を見に行き、安否を確認しました。

ベルママは、メキシコから本帰国してまだ2週間のときで、一度、岡山に帰省し、東京に

戻った直後の出来事でしたが、両親のことも心配なので、また岡山に舞い戻りました。

このときの土砂崩れで直撃を受けた2、3軒、5名の方々が亡くなられました。

 

幸い、実家は、床下に土砂が流れ込んだ状態だったので、日常生活を送ることは、

できましたが、大量のその土砂を取り除く作業は、並大抵のことではありませんでした。

たくさんの従兄弟たち、親戚や知人やらが連日駆けつけてくれ、何十、何百と土嚢袋に

土砂を入れていきましたが、片付けても片づけても、なかなかきれいになりません。

毎晩、みんな疲れ切り、それでもがんばらなければ!という思いで3日がたった23日

の夜、テレビから聞こえてきたのは、新潟中越地震のニュースでした。

その日から、もっぱら、報道はそのニュースばかり。

まだまだ土砂崩れの片付けは、できていません。

「大きなニュースが起こると、その前にあったことなどすぐに忘れ去られてしまうんだ」と

実感してしまいました。

まだまだ自然災害の立ち直りの最中だったのに・・・。

道にも土嚢袋は積み上げられたままで、「この先、どのくらいかかるのだろう、元通りになるのは」と

暗い気持ちになったのを今でもはっきりと覚えています。

 

東北・関東大震災から20日。

まだまだライフラインも完全ではないところもある状態とか。

被災地以外では、震災前の日常生活を送ることが、大切だと言っていました。

復興に必要な財源を確保するため、被害にあわなかった我々は、しっかりと働いて、

日本経済を支える必要があるからです。

今までと同じ日常生活は送るけれど、でも震災のことは、ずっと忘れないで、

みんなで東北地方の復興を応援していく! その気持ちを持ち続ける大切さを

改めて心にしっかりと言いきかせなければ!

 

 

 

 

 


めまぐるしい一週間 [雑記]

今週は、真夏のような日があったかと思えば、秋が急に深まって11月ごろの

気候になったり、なんだか季節の移り変わりに体がついていけないような1週間でした。

ベルキーの検診の日は、暑くて、汗をかきかき、病院の往復。

水曜日は、やはりまたまた暑くて、9月も下旬というのに真夏日。

この日は、池袋教室だったので、電車に乗って出かけたけれど、夏の装いの人の

方が多かったよう。

木曜日、金曜日とどんどん秋が深まり、今朝は、晩秋ぐらいの冷え込み。

銀座の教室にでかけるのに、やはり電車に乗ると、さすがにきょうは、どっちをむいても

みんな秋のいでたちでした。

 

ベルキーは、秋の訪れとともに、その食欲に一気に加速がついたようで、「食事の時間は、

まだですか?」の催促、「もっとください!」の催促。

今週も元気に過ごすことができました[わーい(嬉しい顔)]

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「ママ、一緒にアソボーよ」とボールをくわえてきました。

 

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「みなさん、急に冷え込んできたから、体調に気を付けてくださいね~」・・・ベルキーより。